浩子の部屋

母が逝きました

「はよ、あの世にいきたい。」
・・・と、苦しまずに眠るように、実母は逝きました。
逢う最後の日となった時も、意識がはっきりとあり、目は開かずとも、声賭けには応じてくれていました。弟家族も主人も、皆が集まって見舞ったその翌朝に、すっと息を引き取りました。

老人ホームで、手厚く介護していただき、常に身体を拭いたり、床ずれができないように、2時間おきに向きを変えていただいたりして、家族よりも、とても大切にしていただきました。専属のお医者様、看護師さんもいらっしゃり、何の心配もせず安心してお任せし、看護していただき、本当にありがたく思っております。

晩年、一番楽しみにしていたのが、内孫(弟の娘)の成長でした。幼少期から保育園のお迎えや、その後のお守りをずっとしていたので、可愛さはひとしおだったことでしょう。
「孫が資格取るまでは、がんばるで~。」
と、姪が医学部を卒業して国家試験に合格するまでは、絶対頑張って生きていると言っていましたが・・・食事がほとんどのどを通らなくなり、体力を消耗していきました。

7月下旬に、終末をどう迎えたいかを母に尋ねました。もうその時は、長生きしたいというよりも、楽にぽっくりと死にたいとばかり言っていました。いわゆる老衰による「安楽死」を望んでいました。ホームのかかりつけのお医者様とも相談し、病院に入るより、このホームで、見知った方の手厚い看護のもと、終末を迎えたほうがいいと思いました。

母は、私が何時に行っても、「なかなか入れへんのに、ここに入れて良かった。」と、3年前にこのホームに入所できたことに感謝していました。娘や息子に迷惑をかけることも、母にとっては辛いことだったに違いありません。私達に気遣ってくれていたのでしょう。私達が元気に楽しく暮らしてくれるのが、母の一番の願いだったと思います。

10年程前、私が文章を書き始めた頃に、「しんどい、しんどい」と口癖のように言っていた母に、はっきりと言いました。
「『しんどい』という言葉を使ったら、しんどいという言葉に浸るから、よけいにしんどくなるで~。しんどいは禁句!!」
そして、「幸せ」「ありがとう」「素晴らしい」という言葉を、常日頃から使うようにしたほうがいいと話しました。

私がいろんな文章を書いて送っていると、素直な母からは、だんだん「しんどい」という言葉が消えていきました。そして、辛い顔をせず、笑顔になって、「私も頑張ってるで~。」と言うようになりました。

昨年3月の江上歯科35周年記念パーティのために、娘(理絵)が老人ホームまで出向いて、出席できない母の「ビデオレター」を約8分間撮影してくれていました。私達夫婦がブラジル旅行していた時です。その時の映像が、今となっては、「宝物」になりました。通夜の席でも、親族にお披露目しました。

今年の4月には、一緒に桜の花見をしたいと思い、天気のいい日に車椅子で出かけました。
「お母さん、来年もまた桜を見に来ようね。」
「うん、がんばって生きてるで~。」

ひょっとしたら、最後の花見になるかもしれない・・・と、その時、ふっと思いました。
今となったら、あの時間を母とふたりっきりで過ごせたことも、私の宝物です。思い残すことは、もう、何もありません。それは、母も同じだったことでしょう。

幸せな、幸せな人生を授けていただき、感謝するばかりです。私は幼少期から11歳下の弟が生まれるまで、ひとり娘のわがまま娘であり、みんなに可愛がられて育ち、何の不満足もありません。いつも、「母の手作りの服」を着せてもらい、お稽古事もしたい放題。

バレエの服も、中学校・高校の制服も、そして、大学の卒業式の袴、入社式のスーツ、結婚式のお色直しのドレスに至るまで、全て、洋裁師をしていた「母の手作り服」でした。

私の娘の、ピアノ発表会のドレスも作ってくれていました。自分の作品を喜んで着てくれるのを、楽しみに作ってくれていたのでしょう。ピアノの森山純先生も、母の想い出話をしてくださいました。
「おばあちゃんの手作りのドレスが、とっても素敵で、忘れられないわぁ。ノリちゃんとリエちゃんのお下がりのドレスを、みんなが借りて着回ししてたけど、何回クリーニングに出しても、きれいなままやったもの。素晴らしいわぁ~♪」

母は、プロとして、45年間も洋裁を続けていました。小さい時は、母のそばで、それを見ながら宿題をしていたのを思い出しました。私も見よう見真似で、人形の洋服を作ったりして楽しんでいました。算数の問題を、母と私のどちらが早く解けるか、競争もしました。夜遅くまで仕事をしていた母とは、そんなふうに過ごせる時間が、一番嬉しかったのだと思います。

母への思いは尽きませんが、無事に家族葬を終え、母が苦しまずに逝ったことが、何よりもほっとする「今」です。孫は3人、ひ孫も6人、跡継ぎも育ち、母は思い残すことも無いでしょう。
「私も、しあわせやで~!!」
と言ってくれた母に、感謝の思いでいっぱいです。

「おかあちゃん、ありがとう!!」
弟の会葬御礼の最後の言葉が、私の心の中に「ぐっと」刺さっています。この言葉を思い出すたびに、涙が溢れて止まりません。気持ちは私も同じです。もう、返事をしてくれない瞼の母に、何回も・・・

ありがとう、ありがとう、ありがとう!!

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