浩子の部屋

ハンディって何?

ほんまに、こんなんでいいの~?!世の中、いっぱい間違いだらけ・・・
ほんとに大切なこと、忘れているんと違う???
皆さんに言うより前に、自分に問い質す「今日」。なんか間違ってる・・・私。とても衝撃を受けた目の前の事実!!

受け入れられない・・・自分の存在に、悲しいものを感じた。私の身内に障害を持つ子がいたら、どんなに悲しい、どんなに苦しい、どんなに辛い・・・きっと、常に胸を締め付けられるような思いが継続しているであろう。はじめは、自分の身内でなくて良かったと安堵する。そして、他人を「ああ、かわいそう」と思う。それは・・・おかしいのではないか?!

でも、その障害を持つ子のお母さんとお話しする機会を得て、お母さんの切実なる「母性」と「愛情」を感じ、胸が熱く熱くなった。3歳の男の子(次男)は、右手はごく普通だが、左手のみ、手のひらと親指はあっても、生まれつき他の指が無い!!それを見るだけでも辛い現実。でも、その子に、音楽を習わせたいと、ピアノ教室にやって来られました。

本来は、5歳のお兄ちゃんにピアノを習わせたい・・・という思いで来られたと思うのですが、3歳の子にも、音楽を通じて、自分のやるべきことや才能を見出してもらいたいという思いが、そのお母さんにあるのを痛烈に感じました。ハンディーをものともしない人間に育って欲しいという「思い」が、ひしひしと伝わってきました。

「片手でもできるし、指や手のひらが無くても、ピアノは弾けるから。」
という、力強い言葉が、たんたんと返ってきました。森山純先生は、全てを受け入れられるんだとわかった時、ほんとに私の想像をはるかに超えていると感じました。ハンディをハンディとせず、それをそのまま受け入れられる森山先生。本当に、「先生」と呼ぶのにふさわしい先生、いえ、素晴らしい、すごい先生!!

私は、感動で、心が涙の水で満たされています。その森山先生の熱弁を聴いているのは、誰あろう、その3歳の男の子でした。食い入るような目線で、しっかりと先生の話を、オトナのように聴いています。「この人はいったい何者だ。でも、この人の話は本物のようだ。」と、小さいながらも感じたのではないでしょうか。

人間の出会いとは、本当に不思議なものです。出会いたくても出会えないかもしれないし、出会おうとせずとも、出会ってしまうこともある。ずっと気になっていたことが、今、目の前で解き明かされ、真実に触れることによって、また、思わぬ感動が胸を突きぬいていく。「この子は本物だ!!」・・・ハンディを背負うことが悲しいことではなく、それによって、他者と違う「優れたもの」を手に入れている。そう、感じた一瞬だった。

平凡であることもありがたいことだ。でも、非凡であることは、素晴らしいことでありながら、「苦」も同時に存在する。苦を乗り越えることで、山登りのように、達成感と爽快感、それに何よりも全てを乗り越えた神がかり的な・・・「神秘」を持ち合わせる。3歳にして、彼の眼差しは、子供でもなく、大人でもなく、まっすぐに貫く「真実」のようであった。(写真は5歳の我が孫セイト君)

この障害を持つ子はきっと何かを、何か使命を背負っている子。この子を一人前に、いえ、人並み以上の子にするには、周囲の努力や支えが必要であり、そこにエネルギーが集中することによって、大きく開花するのであろうと感じました。また、母としての、そのお母さんの受け入れる「広い」「厚い」愛情を感じ入りました。

全てを受け入れる心こそ、新しい未来を切り開く「最短の近道」です。

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