浩子の部屋

名張・伊賀上野の旅

今年の佐保会大阪支部親睦バス見学会は、第一代伊勢斎王であった大来皇女(おおくのひめみこ)ゆかりの夏見廃寺跡(三重県名張市夏見)と、松尾芭蕉ゆかりの草庵「蓑虫庵」と芭蕉翁生家(三重県伊賀市上野西日南町)を訪れました。あいにくの雨模様でしたが、大降りに合わずにすみ、バス1台に38名の参加で、賑やかでした。

三重県名張市を訪れるのは初めてです。近鉄電車の名張行きという看板は見かけたことがありますが、何があるのか、何が有名なのか全くわかりません。三重県は、「熊野の国」「伊勢の国」「伊賀の国」と三つにわかれていて、名張は、伊賀の国にあたります。

バスガイドさんの話では、名張市出身で有名な方が二人おられるとか・・・
一人は、20ものお城を建てた藤堂多可虎(とうどうたかとら)で、大阪城も建てた人なんだそうです。もう一人は、推理小説作家の江戸川乱歩。とても意外な感じですね。

大来皇女(おおくのひめみこ)とは・・・
父は天武天皇(大海人皇子)、母は太田皇女(中大兄皇子の娘、持統天皇の姉にあたる)。母は6歳の時に亡くなり、父に寵愛されて育ったが、父が天武天皇に即位した際、13歳で伊勢神宮の斎王となり、伊勢に派遣された。26歳の時には父が亡くなり、都に帰される。その後、父の追福、あるいは、24歳で非業の死を遂げた弟を偲ぶために建てた?とされる昌福寺が夏見廃寺であったと思われている。

弟(大津皇子24歳)が伊勢に訪れた時に、政争(天皇の座を争う)に巻き込まれるの案じて読んだ、大来皇女の歌です。

「わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて 暁露に わが立ち濡れし」

この歌碑は、2年前にバスツアーで訪れた、三重県多気郡明和町「斎王の森」にあったのを思い出しました。弟の身を案じ、やりきれない・寂しさを抑えられない・悲しい気持ちを読んだ歌だと思います。

また、名張の地名が出てくる歌がありました。
当麻真人麿(たいまのまひとまろ)の妻のつくる歌。

「吾背子は いづく行くらむ 奥つもの 隠(なばり)の山を 今日か越ゆらむ」


夏見廃寺展示館では、現存する金堂跡の礎石配置をもとに、当時(694年頃)の朱塗りの金堂内部が復元されていました。お堂は、自然光で仏様が見えるように、つまり、太陽光がよく仏様のお顔に当たるように、南を向いて建てられていました。

窓の格子は、四角柱の棒を45°傾けて立て、朝陽から夕陽まで、光がよく入るように工夫されています。軒先には、雨樋は作られていませんでした。ここでは、その昔、お坊さんが、字を書いたり、お経など勉強をされていたようです。

正面にある復元された大型多尊塼仏(たそんせんぶつ)には、阿弥陀如来と菩薩がありました。「阿弥陀如来」は布きれ1枚をまとった仏様ですが、「菩薩」は貴族のスタイルをもとにしているので、ありとあらゆる飾り物を付けており、何十万年かの修行ののちに如来になる方とも云われています。


また、夏見廃寺跡の遺跡の発掘に携わられた、教育委員会の門田了三先生のお話では、
「遺跡発掘の際に、よく、マムシが出ました。多い日には、3匹くらい捕れました。“精”がつくということで、発掘していた地元の方が、マムシをお昼ご飯のおかずに、食べたんですよ。」(え~~っ!!ほんと~??)

「マムシは、首のところを持つと、じっとしています。それで、体の方をそっと撫でると、とぐろを巻かずにまっすぐになって、首のところの皮に、ちょっと傷をつけると・・・
す~っときれいに皮が剥けるんです。“骨皮筋衛門”みたいに、白身のきれいになったのを火であぶっていただくと、おいしいんですよ~♪」(ひゃ~~ぁ!!)

発掘の時のご苦労を、笑って皆さんに楽しそうにお話しされる、その姿に、この地を愛して、丹精込め、復元に尽力されたということがよくわかりました。

お昼ご飯は、割烹「伊くま」での京料理。

ここから、伊賀市の「蓑虫庵」と「松尾芭蕉翁生家」へ。芭蕉がこの辺で育ったとは、今まで全く知りませんでした。お腹が満たされて、移動中はぐっすり(ZZZ)

「蓑虫庵」は、芭蕉翁の高弟で、「芭蕉文庫」「芭蕉句集」等を編み、俳諧一筋の生涯を送った服部土芳の草庵。名前の由来は、庵開きの時に芭蕉翁から贈られた俳句によるもの。

「みの虫の 音をききにこよ 草の庵」
何年もじっと耐えて生きている蓑虫の気持ちになって、じっくりと考えてみよ・・・みたいなことだそうです。(ふ~~ん、なるほど)

庭には、かの有名な、芭蕉が43歳の時に詠んだ俳句が書いてある、句碑がありました。
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
ひなびた感じの小さな池に、ちっちゃな蛙が居そうな、「ぽちゃん」とほんとに音が聞こえそうな、趣がありました。

芭蕉翁生家は、29歳に江戸に発つまで住んでいたといわれています。細長い土間が続いており、かまどがあったり、中庭があったり・・・私が生まれ育った昔の家(江戸末期のもの)によく似ていて、とても懐かしい気がしました。


そんな話をしたら、一緒に行った友人に、
「お釜のご飯は、おいしかったでしょうね~?」
と言われ、おこげのおにぎりの美味しかったことを思い出しました。祖母に握ってもらった、愛情のこもった「おにぎり」。私の頭の中の「味覚」に残っていたんですね~。ほんの一瞬の見学でしたが、自分の歴史みたいなものを、ふと思い起こせる「心温まる」ひとときでした。(ほっこり)

庭にいたカタツムリを見て、私も一句・・・

蝸牛 蠅と背中で 饗宴す


この親睦見学会にために、下見をされ、一日お世話くださった先輩諸氏に、心より「お疲れさま」と「感謝」を捧げたいと思います。ありがとうございました!!

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